出光美術館でやっている「古九谷」展。創設者の出光佐三は古九谷が好きで、昭和10年代から蒐集を開始し現在では約200点近くのコレクションとなっている。今回の展覧会は質量とも充実していて、なかなか楽しめる。解説も丁寧で、歴史と貿易戦略の勉強にもなった。
古九谷の原点は実に桃山時代の大バブル経済にあるという。当時日本は鉱山ブームに沸き、金銀の生産量では世界有数の鉱山国となっていた。特に銀の生産は当時の世界生産の1/3を占めたと言うから驚く。中国は銀の生産が乏しく、正貨である銀貨を鋳造するためには日本から銀を買うしかない。多量の銀が日本から中国に輸出された。要は当時の日本は今の産油国みたいなものね。
中国は輸入した以上代金を払わないといけない。そこで生糸や絹織物、陶磁器、薬品、染料などを日本に輸出したが、特に日本人の成金に喜ばれたのが景徳鎮の磁器。大名たちは争って買い求めたらしい。何だか産油国からのドルの環流を狙って彼等に贅沢品を売りつけたヨーロッパ諸国のやり方に似ている。
ところが明朝から清朝にかわり、中国社会の混乱から景徳鎮の日本への輸出が止まる。これは困ったと言って、日本の陶芸職人たちが必死で中国の磁器を真似して作ったのが古九谷という。手本として使った原本の景徳鎮や図版が日本製のコピーとともに展示されている。
やがて日本の職人たちは技術の完成度を高め、独自の古九谷へと進歩して行く。最終的には侘びとか寂を入れた古九谷すら作っている。古九谷は立派な日本の芸術品である。
教訓:
お昼は日比谷公園の松本楼。あそこのガーデンテラスは日比谷公園で煙草が吸える唯一の場所だから。千代田区は住みづらい。
中国は輸入した以上代金を払わないといけない。そこで生糸や絹織物、陶磁器、薬品、染料などを日本に輸出したが、特に日本人の成金に喜ばれたのが景徳鎮の磁器。大名たちは争って買い求めたらしい。何だか産油国からのドルの環流を狙って彼等に贅沢品を売りつけたヨーロッパ諸国のやり方に似ている。
ところが明朝から清朝にかわり、中国社会の混乱から景徳鎮の日本への輸出が止まる。これは困ったと言って、日本の陶芸職人たちが必死で中国の磁器を真似して作ったのが古九谷という。手本として使った原本の景徳鎮や図版が日本製のコピーとともに展示されている。
やがて日本の職人たちは技術の完成度を高め、独自の古九谷へと進歩して行く。最終的には侘びとか寂を入れた古九谷すら作っている。古九谷は立派な日本の芸術品である。
教訓:
- バブルで儲けたお金は、せめて文化に投資しておけば、後に残る。
- 絶対必要品を輸入した相手国には贅沢品を売りつけろ。観光客を呼んでお金を使わせてもいい。
- 産業の開発途上期においては、手本とする完成度の高い輸入製品がなければ国産品の開発も中途半端に終わる。追い抜くためにも高い目標の存在が大切。(それがなければ「俺の作ったものが一番いいのだ」という「夜郎自大」ばかりとなる。思い当たる産業分野はありませんか?)
お昼は日比谷公園の松本楼。あそこのガーデンテラスは日比谷公園で煙草が吸える唯一の場所だから。千代田区は住みづらい。
Posted: Fri - September 17, 2004 at 02:00 PM Letter from Yochomachi 展覧会 Previous Next Comments
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